世代を超えた学びの空間

■1枚の写真から

お年寄りが1つの机を囲んで話し込んでいる。ハープを引いている若い男性がいる。戸の向こうにはこどもたちが集まっている。この写真を見て何を思うでしょうか?

 私がこの場所に関わりをもったのは今から5年前。学生時代に所属していた研究プロジェクトの一環でこの場所の開設に携わったのがきっかけだ。研究プロジェクトのテーマは、集合住宅団地の再編(再生・更新)手法に関する技術開発の研究。もう少しわかりやすくいうと、高度経済成長期の最中、当時の日本住宅整備公団(現UR都市機構)によって建設された公的集合住宅(世間一般に「団地」と称される住宅をイメージしてもらいたい)、をいかに持続可能な住環境に変えていくかを考えるプロジェクトである。

 私は、建築学を専攻し「人が集まって住む環境」(例えば集落や団地)をテーマとした研究室に所属していた。学部生の頃は、体育会運動部に属していたこともあり、周りの同期と比べても、真面目に学問と向き合っていた訳ではなかった。ただ「このまま卒業して就職していいものかな。」という思いもあって迷いなく大学院への進学を決めた。(親の許しを得られないという相談を現役学生から受けることもあり、今更ながら親のありがたみを感じている。)

 そんな矢先、「うちの研究室の教授が代表を務めるプロジェクトが始まるよ。テーマは団地再生。興味ある?」と先輩に声をかけてもらった。これまでろくに研究室のプロジェクトに参加してこなかったことや10年以上打ち込んできた競技生活にようやく区切りがつくということが重なって、「よし、新しく始まるこのプロジェクトを最後までやりきろう」と決心したことを覚えている。


 

■持続可能な団地を目指して

 研究プロジェクトは、まず海外の団地再生事例の調査を行い、建て替えによる再生がいかに空間的な視点を持って取り組まれたかの調査を行った。その後、国内の団地で実践的に研究を行うため、フィールドの選定を行った。その中で、選ばれたのが冒頭に見せた写真の所在地である、京都府八幡市にある男山団地である。

 男山団地は、京都府八幡市の西部に位置し、日本三大八幡宮の一つである石清水八幡宮をいただく男山丘陵南麓の一体に開発された、京阪本線沿線有数の大規模な住宅地にある。京阪神都市圏には、高度経済成長期に地方から大量の勤労者世帯が流入し、これらの人々の住まいの確保が深刻な課題であり、男山地域の八幡土地区画整理事業は、こうした都市の住宅難の緩和と八幡市の発展を目的に計画された。当時の人口が約2万人に対し、計画人口約32,000人の開発は、町の人口急増という大きな影響を及ぼした。 

 UR都市機構が管理する賃貸集合住宅(以下、UR男山団地)、京都府及び八幡市が管理する賃貸集合住宅、日本住宅公団(現UR都市機構)及び京都府住宅供給公社が建設し、分譲した分譲集合住宅とその周辺に位置する分譲宅地を含めた男山地域の居住者は、20,995 人(平成27年国勢調査)と八幡市全体の人口の約3分の1を占める。人口急増期の社会要請に応じてきたものの、少子高齢・人口減少社会を迎える今、独居高齢者の生活支援や若年世代の流出、空き家・空き地の管理など日本全国どこのまちも直面する課題に八幡市も目を背けられない状況があった。

 研究プロジェクトは、男山団地の再編に関する課題(法的な課題や資金的な課題)を整理し、「男山団地再編提案」を作成した。その後は、展覧会の枠組みで課題の共有や提案に対する意見交換の場を設けてきた。当時、夜な夜な模型や図面を作っては、大学に泊まり込み、議論を繰り返して提案をブラッシュアップさせていく作業の日々も今となっては懐かしい思い出である。

 提案に対して地元住民と意見交換を行うワークショップも相当な数を重ねた。こういった生々しい場面において活躍するのが学生である。利害関係のない第三者的な立場で本音の部分を探るのが僕たちの役割だった。この時の経験が本当にかけがえのないものである。社会に出て立場を背負うとなかなかこういった本音トークは聞けないものだとつくづく感じる。



■気軽に集まれる場所とは

 「地域に気軽に集まれる場所がほしい」そんな声が、ワークショップを通じていろんな世代の住民から寄せられた。こういった声を市やURの担当者に届けると両者の担当者はバツの悪そうな顔で、「団地には集会所がある。」「地域には公民館がある。」という返答があった。確かに、集会所も公民館も人が集まるための機能をもった施設である。それらの施設は、ある決められた単位のもとに、きちっと存在している。それなのになぜ住民は「気軽に集まれる場所がほしい」と話すのか。

 この「問い」の答えを探して、私は今もここに居座っているのだろうか。おそらくそうだ。5年間の取り組みを経た今、確かな答えが見つかった訳ではないが「なるほどそういうことか」と思えるような、答えらしきものが返ってくることがある。思いもよらない「出会い」がまたひとつこの場所に意味を与えてくれる。

 「ここはなんのお店ですか?」と尋ねてくる人には、「ここはなんのお店だと思いますか?」と質問返すようにしている。大抵の人は、きょとんとする。「え、ここはカフェじゃないんですか?」「家具屋さん?椅子が並んでいるし。」というのはよくある反応。たまに「あなたお店の人じゃないの?」と難しい顔をして去ってしまう人もいる。

 無責任だと言われればそうかも知れないが、ここはなんと言えばいいのか運営している私でさえ説明に困ってしまうというのが本音である。むしろ、確信めいたことは言いたくない。その人が感じることが答えだと思っている節もある。そういったコミュニケーションの先に思わず唸ってしまうような気づきを得ることがある。これまでの経験で、特に印象的なやりとりを紹介したい。


 「なんにもない場所ね?ここ何のお店?工事中?」

 とよくいわれた開設当初。

 最近では

 「ここはなんでもありそう。自転車の空気入れてくれない?自転車屋でないのはわかるんだけど。」

「こんなことお願いしていいかわからないけど、この椅子の足を切ってくれない?」

 数日後に別人が

「ここに来たら、椅子の足を切ってくれるって聞いたんだけど。」

「ここは何屋さん?」近頃は僕が答えなくても周りの人が答えてくれる。

「来たらわかるから毎日来てみなさい。自分に合ったら通えばいいの。」横から別の人が、

「このお店はよく人が集まっているでしょ。コミュニケーションを売っているのよ。」と。


 この「問い」と「出会い」がいまも私の原動力になっているのは間違いない。


 ─ そこに行けば誰かがいる

 

 ここ「だんだんテラス」と名付けられた場所。平成25年に団地内の空き店舗を活用し、男山団地再編のシンボルとなる拠点として、八幡市、UR都市機構、関西大学が資金や人材を持ち寄り開設した。僕自身は、大学院M2の頃にこの拠点の開設に奮闘した。設計と監理、地元住民との調整や運営を任せてもらい、一連の経緯も含めて修士論文のテーマにした。そういった経緯もあって卒業後(アトリエ系事務所に就職を希望し、就職活動を放棄していたこともあり)、このプロジェクトにおける地域コーディネーターとしてキャリアをスタートさせることとなった。それが今の私の立場である。

 「だんだんテラス」は、「気軽に集まれる場所」と「団地再編の拠点」の2つを合わせもったような場所を目指している。しばしば、それに向かうアプローチが個性的だと言われることが多い。そのアプローチとは、この場所を「365日オープンする」ということ。「そこにいけば誰かがいる」という状況をつくることが狙いだ。「公民館は毎日開いていないし、集会所には1人でいかない。」というのが発想のヒントである。 そして、そこに集まってくる人たちとこの場所の使い方や運営について考える。一見、場当たり的にみえるこの方法に関して、自然科学系の先生からは「アカデミックでない」という評価を受けることもある。しかし、常に変化し続ける住環境の中では小さくとも着実な成果を積み重ねることがとても重要であると信じている。

 「だんだんテラス」の名には、2つの意味が込められている。1つは「団地について談話する」の頭文字をとった「団談」。もうひとつは、「ゆっくりまちづくりを進めていこう」という「段々」。

 この精神でこれまで5年間、元旦も盆も開け続けてきた。ただ、これは1人で成し遂げられるものではない。研究室の後輩や地域住民らとともに、スタンスを共有し、協働してきたからこそ実現できている。

 

■世代を超えた学びの空間

 ここで5年間のプロセスを語りきれないこともあって1枚の写真で表現しようと試みた。実際この写真にあるように、毎日様々な世代、様々な立場の人がこの場所に集まる。

 朝10時のオープン時には、団地や周辺の戸建住宅から高齢者が集まってラジオ体操をする。まず外に出るきっかけとして、みな自主的に参加している。その後、散歩に出かけるグループ、喫茶店に入るグループ、しばらく立ち話をするグループなどに分かれていく。誰にも強制されない、気の合うメンバーで集まるのが長続きの秘訣らしい。それでいて体操している時はみんなでいる一体感も生まれている。ラジオ体操とはまた違ったメンバーがぞろぞろと集まり「みんなで歌うおう会」がはじまる。60代から80代の男女が湧きあいあいと懐かしの曲を歌う。お昼の時間帯は、外を歩いているひとが少ない。ただ、ラジオ体操から散歩に行ったグループがいろんなお土産をもって帰ってきてくれる。昼過ぎには、俳句サークルのメンバーが集まる。この俳句サークルは、ラジオ体操に来ていた70代の男性が「俳句の会を立ち上げたい」とちらしをつくって呼びかけたのがきっかけだった。

 この俳句の会も、1人、2人とメンバーが増えていき、今では10名を超えるメンバーで、月2回の句会を開催している。定期的に吟行にも出かけて楽しんでいるようだ。句会の途中、ハープを担いだ30代の男性が訪れる。「団地で音を出して練習ができないので、ここをお借りすることはできますか?」と尋ね「BGMになるからここで演奏していいよ」と、句会のメンバーに許可を取り、ハープの練習を始めた。句会が終わる頃には近所のこども達が集まってくる。大人が楽しんでいる間は、外の椅子で暇をつぶしている。大人たちがいなくなると、自分たちの場所といわんばかりに、床に宿題を広げたり、お菓子を広げたりしてくつろいでいる。夕方、店仕舞いをしていると夜勤明けにもかかわらず子どもを散歩に連れてでているお父さんが訪れる。仕事の愚痴や子育ての楽しさについて、話に来てくれる。ここにいれば、これから自分も経験するかもしれない貴重な話を聞くことができる。忙しいときはこんな1日。もちろん、もっと暇な1日もあるが、誰一人ここに来なかったという日は未だない。

 この文章を書くことになり、これまでの経験を振り返る機会となった。改めて、この場所を通した実に多くの「学び」が自分自身の中にうまれていることに気がついた。

 「気軽に集まれる場所とは」という、私自身が立てた「問い」にまつわる全ての「出会い」が自らの血となり肉となっている。集まり、出会い、世代を超えて学び合う空間をもっとこの地域で広がりをもてるよう、これからも継続的に実践していきたい。


文:辻村修太郎


筆者が企画・運営している団地内のスペース「だんだんテラス」


筆者の辻村修太郎(写真右)

Sophia

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