ぶらり釜ヶ崎 その1
■偏見解くカギ、「まちあるき」
先日、大阪は「釜ヶ崎」という地域に行った。釜ヶ崎と聞けば、日雇い労働者や路上で生活している人を思い浮かべる人も少なくないのではないだろうか。通天閣や新世界、天王寺動物園のすぐ近くに位置するこの街は、僕が幼いころから「汚い」とか「危ない」とか「怖い」の代名詞だった。しかし、最近はそんなことはないらしい。
「日雇い労働者の方でにぎわっていた街も、景気が悪くなると路上で生活しないといけない方でいっぱいになって、いまではそういった方たちが高齢者になったからグループホームがたくさんできたり、観光客の人が利用するゲストハウスも急増してるのよ。」
ゲストハウス「ココルーム」の代表、上田假奈代さんはそう語)る。
たしかに、僕がここに来る途中大きなリュックを背負った人を見かけたし、街並みも幼いころ植え付けられたイメージとは違っていた。「汚い」とか「危ない」とか「怖い」ということは、本当に悪いことなのだろうか?そのイメージができあがったことが持つ意味ってなんだろう?だれかの言葉で知た気なっていた「釜ヶ崎」を壊して、自分の目で見て、耳で聞て「釜ヶ崎」をもう一度つくりなおしたい。自分の偏見を解くカギは、「まちあるき」にあるのかもしれない。
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